世の中には流されて生きている人と
なにかを考えながら生きている人がいます。
考えることは能力で、知的好奇心が源泉となります。
その知的好奇心は、教養レベルが高いか低いかで変わると思います。
例えば、雲をみたときに「夏が来たねー」と感慨深くなるのは
積乱雲がどうできるか知っているからです。
よく趣味がない人っているじゃないですか。
それは「私は教養がありません」って言ってるようなもんです。
勢いのある経営者同士だったら、知的好奇心の化学反応がよく起こります。
特に若い20代の創業したばかりの経営者は、拙いながらも良いパンチを持っています。
逆に60代以降の年寄り経営者は、実績はすごくても知的好奇心が枯れ果てていることが多く、「あ、前と同じことをしゃべってるー」と白けます。
長男(5歳)がポケモンを少し覚えてきたので、すべてのポケモンが載っている図鑑を買ってあげました。図鑑にある1000匹(私のときは151匹だったのに)を覚えたらゲームのポケモンを買ってあげる約束をしています。
1ヶ月で300匹ほど覚えていて、子どもの知的好奇心にビビりました。
たぶん知的好奇心は、勉強だけじゃなくて、なんでもいいと思います。
スポーツ、絵画、音楽、ゲーム、プログラミングとか。
私の仮説では、知的好奇心の器は固定されておらず、
使えば使うほど器が大きくなるイメージ。
ようやく会話が幼児から少年になってきたので、そろそろ仕事のペースを落として、子どもの知的好奇心を最大化するゲームをやっていきます。
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編集後記
そのためには、私もポケモン図鑑を覚えることから始めます^^;