知能と知性。この2つの言葉、似てるようで、実はまったく別モノだと思うんです。

私なりの解釈で言うと——
知能=正解があることにたどり着く力
知性=正解がないことについて模索しながらも、そこに意味や幸福を見出す力
こんな感じです。
で、ここからが本題。
AI(人工知能)の発達によって、人間の知能はほぼ完全に置き換えられる未来がやってくるでしょう。
正直、知能的には「学校で習ったことなんて、もう全部ChatGPTに聞けばOK!」という時代になりました。九九や歴史の年号なんて、今や検索3秒です。
でも、知性は違うんです。
例えば、あなたがスナックに行くとします。
いつものママがいて、馴染の店員さんがいて、いつもの友だちがいて、どうでもいい話をして、笑って、時にはちょっと泣いて帰る——。
この“無意味”な行為の中に、なぜか「幸せ」がある。この感覚、AIには絶対わからないと思うんです。
あるいは、あなたがサックスを始めたとします。
音がうまく出ない。指がもつれる。音程もズレまくる。
それでも「もうちょっと上手くなりたいな」と思って練習してる。
プロの演奏を聴いた方が早いし、上手いのは当たり前。
でも、自分で不器用に試行錯誤して、ちょっとずつ吹けるようになる。これって、すごく面白い体験ですよね。
この「面白がれる力」が知性だと思うんです。
知能はAIに任せて、人間はもっと“無駄だけど豊かなこと”に時間とエネルギーを使っていく。
これからの時代、そんな知性的な人がどんどん魅力的になっていくんじゃないかと。
あなたは、どんな“無駄”を楽しみたいですか?
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編集後記
遊びが無駄なことであると同時に
僕らが一生懸命仕事に精を出したところで世界は変わりません。
だから何でも面白がってやる感覚で生きるだけでいいんです。
遊びも家庭も仕事も、すべてはゲームなのさ。