「努力は報われる」と信じて、
がむしゃらに突っ走ってきた人ほど、
ある地点でふと立ち止まります。
「あれ、これ以上って、あるの?」と。
もちろん、努力には意味があります。
でも、その“努力”の設計図を誰が描いたのか、
自分で把握していない人が多いのです。
学校、会社、世間
他人が勝手に用意したフォーマットに、
一生懸命ハマりにいってませんか?
例えば、経営者団体でボランティアがあるんですよ。
本当にボランティアしたい経営者いるの?
本当は自分の子供と思いっきり遊びたいんじゃないの?
この構造から抜け出すには、一つだけ条件があります。
それが、「抽象世界で遊べる」こと。
抽象世界というと、なんだか哲学っぽく聞こえますが、
要は
「今ある枠組みそのものを疑って、別の視点を構築する」
力です。
具体を離れて考える。
たとえば、「仕事とは何か」「自由とは何か」「お金とは何か」「自分にとっての成功とは?」という問いを、
自分の頭で捉え直す。
あなたにとって会社を大きくすることが成功?
本当は1人で食っていく分で満足なんじゃないの?
と自問自答する、とかね。
この抽象思考のトレーニングをすっ飛ばしてしまうと、
いつまで経っても「努力を売って生計を立てる」モデルから脱せません。
そしてこのモデルの行き着く先は、天井の見える人生です。しかも天井は限りなく低く登るほどワクワクさせるものでもない。
つまり、時間も体力も気力も有限な中で、
得られるリターンもまた有限になる。
一方、抽象で遊べる人間は、
「そもそもこのゲームに参加すべきか?」と考えることができます。
そして、自分でルールを再定義する側に回れる。
努力をするにしても、それは自分が設計した枠組みの中での努力。
だから、疲れ方がまるで違う。
あなたの“頑張り”は、誰が設計した枠組みに向けられていますか?
そろそろ、構造そのものをいじる遊びを始めてみませんか。
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編集後記
他人が決めたルールなんてどうでもいいんだよ。
あなたはあなたの人生を生きるために生まれてきたんやで。